【抑うつ状態!?】仕事を三か月半休職しました~①休職に至るまで

こんにちは。ゆか子です。

 

5月なのに暑いですね!春はあっという間に終わりましたね。

 

ゆか子は新卒で入社し、2019年4月に社会人3年目を迎えた24歳の女です。

今年の2月から、心身共に調子を崩し、会社を休職していました。

 

体調も回復し、三か月半の休職期間を終えて職場復帰をしたので、

この記事では、今回の休職について振り返りをしようと思います。

 

 

 

 

休職するまでの道のり

まさかのバリキャリ営業職!?

「お金が好き。金持ちになりたい。」というふざけた理由から金融業界を志望し、

大手金融サービス企業に入社しました。

 

ぶっちゃけ、どんな会社なのか2%くらいしか理解していなかったです。

 

なぜなら営業職についてマイナスなイメージしかなかったのに、

(厳しいノルマ、残業多すぎ、飲み会強制参加などなど)

社内部署のほとんどが営業部の会社だったのですから(*ノωノ)

 

志望動機もなければ、金融の専門知識もない私が配属されたのは

もちろん地方の営業部。

 

本当に営業職について、金融業について、社会について、

なーんにも知りませんでした。

 

仕事楽しいかも...かーらーのー、激務到来

新人のころは、ひたすら新規開拓!!鬼のアポ電!!飛び込み営業!!

夢と希望にあふれた新入社員が死んだ魚の目に代わるのにそう時間はかかりませんでした。

 

ひたすら新規開拓を行うのはとても大変でしたが、

少しではありますが、先輩のお客さんも分けてもらうなどして

少しずつ仕事を覚えていき、社会人2年目にして初めて契約をゲットした時には

「わたし営業向いているんじゃないか...??」

と思えるほどでした。

 

(ここまではとても順調です...(笑))

 

心身不調になった原因はこれだ!

ここまでだと、仕事なんだかんだやれてるし、契約もとれたし、なんでゆか子休職したの????

 

とみなさん疑問に思われそうですが、

 

私が不調に陥った原因は、

「負荷がかかるけど、一つならなんとか耐えられるレベルの事態が立て続けに3つかさなったから」

でした。

 

上司の退職

これはあるあるなのかないないなのか環境によるのでしょうが、

配属後からお世話になっていた上司が、ちょっと法に触れることをして

突然辞めてしまったんですね。

一緒に進めてた難易度の高い案件をすべて一人で行わなければならず、

また同僚もちょっと法に触れたことの尻ぬぐいや引継ぎの対応に追われ....

みんな忙しかったです。

その上司、大好きだったのになあ。

 

産休する先輩の後任に抜擢

いやもうこれは誰も悪くない!けど非常に忙しくなったんです。

強いて言うなら、新しい人をよこさなかった人事が悪い。

仕事量は3倍になり、社内みんな忙しかったので、他に頼める人もおらず、

疲労が蓄積していきました。

 

まさかの支社内異動

こんなクッソ忙しいときに異動かよ!!と100回叫びました。

理由は、辞めてしまった上司の後任が来ず、若手のゆか子はしかるべき上司がいるチームでたくさん勉強しろということ。

そのため引き継いだ顧客は全部持って行き、引き続き対応するように。とのこと。

新しい環境で新しい方針のもと大量の顧客の対応をし、新しい上司とは馬が合わず...

 

以上のトリプルコンボで、心身不調に陥りました。

 

仕事上の葛藤

 不調に陥ってからもなんとか会社には行っていました。

でも、めまいがする、涙が出る、字が読めない、うまく話せない、、、

それでも当時の私は休職は絶対したくなかった。

 

ここで休職したら、希望の部署に行けなくなるのでは、

もう復職できないのでは、ていうか今まで頑張ってきたことが全部パー!?

友達、親にがっかりされるのでは、、

 

などといった不安から休職するか働き続けるか、いっそのこともう辞めてしまうか、、

判断ができませんでした。

 

休職を決意した理由は次の記事に書きます。

【自己紹介】毎日楽しく生きるには。

はじめまして。ゆか子と申します。

本ブログを読んで下さり、ありがとうございます。

 

この度、ブログを開設しましたよー、ということで

自己紹介をします。

 

 

ゆか子ってどんな人?

1994年生まれの24歳女性です。

出身は東京のドがつく田舎の町。現在は仕事の都合で関西に住んでおります。

金融系の会社で営業職をしております。

 

同い年の彼氏と婚約中で、彼の地元の沖縄県に嫁ぐ予定です。

 

 

こんな人生送ってきました!

 

とにかくいい子ちゃんだった幼少期

東京の超田舎町(東京駅まで片道2時間)に末っ子として誕生しました。

幼稚園から公文さんへ通い、小学生の時には塾へ通い、

友達と遊べないこともしばしば、、というような教育熱心な家庭で育ちました。

 

また非常に過保護な両親でもあったので、学校以外のプールや海や

自転車に乗るのも禁止(友達と遊ぶのも車のお迎え付き)といった生活をしており、

周りの子とのギャップに悩みながらも、両親に反抗することもなく

どこから見ても "優秀ないい子" として学校や近所でも評判でした。

 

よく食べ運動はほぼしなかったので、158cm・60kgに到達。

おしゃれなども興味はなく、というか親に今どきの服を着たり、

眉毛を整えたりすることを規制されていたためかなりの芋っぽさでした。

 

バスケに全力を掛けた中高生時代

私立の中高一貫校に進学したものの、今までの親への反抗心からか

校内で一番厳しいと評判のバスケ部の入部を決意。(おデブで運動音痴なのに)

 

最初は持ち前の運動神経の無さで苦労しましたが、高校時代にはキャプテンも務め

さらに痩せておしゃれへの規制も緩和され、見た目はかなりましになり、

人生初の男友達もできました。

あー高校時代は楽しかったです。運動会とか。

 

通っていた学校は親お墨付きの進学校で、国立早慶以外は

ゴミなどという教育を受けていました。(今思えば異常)

部活ばかりしていたゆか子は圧倒的成績ダウンを披露し親に泣かれるという始末に。

でも部活だけはやめたくなくて、そんなに強いわけでもなかったけど

6年間続けました。結果として大学受験は私立大学に合格し

晴れて大学生になれたのでした。

意識高い系と化した大学時代

 

大学に通ってみると、絶望の日々でした。

授業中は大騒ぎで、真面目に参加する学生は少数派。

何のために大学に通うのか分からない、、

もっといい大学に行けてればこんなことには、、

そんな思いを感じ、就職では絶対失敗したくない!!!

大手企業に絶対就職する!!!

と誰よりも早く行動し、短期留学、TOEIC、アルバイト、SPI等

就活で必要なことは全部やりました。

 

毎日リクルートスーツを着て、面接は練習通り話し、

その結果日本でも有数の金融の大手企業に内定をもらうのでした。

 

激務で挫折した社会人

満を持して入社した大手企業で、初めての一人暮らし。

やっと過保護な親から離れられる!バリバリ仕事をするぞ!

と意気込んで、まさに前途洋々でありました。

 

配属は希望していなかった関西の営業部がある支店でした。

新人はとにかく新規開拓!という指導の下、テレアポや飛込をし

精神的に辛い時期もありましたが、

少しずつ仕事を覚え、できることが増えていく日々を非常に楽しんでおりました。

 

そして優しい彼氏もでき、毎日が楽しく充実していました。

 

そんな中、仕事において非常に負荷がかかる状況になり、

必死に仕事をしていたものの、半年間無理をしたところ

めまいがする、気分が落ち込む、文章が理解できない、死んでしまいたい

というようなうつ状態となり、休職せざるを得なくなりました。

うつ発症から休職までは長くなるのでまた別途書けたらと思います。

 

現在は休職期間を終え、のんびりと仕事をしております。

 

どんな内容のブログを書くか

とにかく楽しく、自分を大切にする

幼少期から、自分が何をしたいか、よりも何をすべきか、にとらわれて

自分の心の声を無視して生きてきました。

でもそれって特別なことではなく、そういう人って結構多いと思うんです。

 

私は、いい子で、優秀で、仕事ができて、そうでなければ意味がない

 

そうやって24年間生きてきたので、すごく生きづらかった。

でもそれって、辛いな、とか、なんで私ばっかり、とか

そういう感情は出てきても、自分の潜在意識が自分を苦しめているということに

自分がうつ状態になって初めて気づくことができました。

 

いい子でもそうでなくても、仕事ができてもできなくても

それが唯一無二のわたしである!と受け入れるようになってきつつあります。

 

このブログでは、

「とにかく楽しく、自分を大切にして生きるにはどうしたらいいのか」

をテーマに自分の感じたことを発信していきたいと思います。

 

 また、ゆか子を含め若い女性って、生きているだけでいろんなことがあります。

恋愛、結婚、仕事等それら向き合う中で感じたことも

ちょこちょこ投稿できたらと思います。

 

こんな私ですが、何卒よろしくお願いいたします。

読んでいただきありがとうございました。